ドクスメ耳寄りニュース

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祝復刊!『昭和精神史 戦後篇』

昨年8月頃、『生くる』や『魂の燃焼へ』の著者、執行草舟氏も

大絶賛の名著『昭和精神史』が長い絶版の状態から奇跡の復刊!

 

復刊にあたり、執行草舟氏よりおすすめのコメントをいただきました。

 

「戦後の文学評論家が書いた中で最高峰の文学評論である。

普通の文学論は理屈で書かれているが、桶谷氏の『昭和精神史』 は、

ロマンティシズムに溢れている。本当の魂の歴史である。」執行草舟

 

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「日本文学論の中の最高峰!」と執行氏が大絶賛の『昭和精神史』の

続編に当る「戦後篇」もこの度、長い絶版の状態から復刊しました!

 

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今回の「戦後篇」の解説は、以前ドクスメでも大人気の『明治の光 内村艦三』

の著者、新保祐司が書かれています。

 

この機会に、長く絶版になっていた『昭和精神史』と『昭和精神史 戦後篇』

を合わせ読みできるチャンスになるので、この機会を是非お見逃しなく。

 

以下の書名のリンク先よりご注文いただけます↓

 

昭和精神史 - 読書のすすめ

昭和精神史 戦後篇 - 読書のすすめ

祝復刊!『昭和精神史』&『昭和精神史 戦後篇』セット - 読書のすすめ

 

「平成も終わり、今、我々日本人は、令和のはじめに生きている。

それも、新型コロナウイルス禍という苦難の中で、生きているのである。

このウイルス禍の影響は、長く続くに違いない。

そして、コロナ以前の世界に戻ることはもうない

やがて、このコロナ禍が収束したとしても、その後の世界は、社会の在り方や

人間の生活が大きく変わることになるであろう。

もう「昭和」は、はるかに遠くなっていくに違いない。こういう文明史的な激変の中にいて、本書を二十年ぶりに読み返してみると、その中に鳴り響いている「昭和の精神」

への「挽歌」が一層心に沁みて来るようである。」

 

「たしかリルケが、詩の最高の形態は、挽歌、あるいはレクイエムであるといった

ように記憶しているが、桶谷氏は、今日の日本で、挽歌を歌うことのできる、

数少ない詩人の一人であろう。

『昭和精神史』が書かれ、その後、『昭和精神史 戦後篇』が書かれた。

だが、この『昭和精神史 戦後篇』は、前者の単なる続篇ではないのである。

この二つの間には、深い断絶があるのだ。単なる続篇としてならば、

『昭和精神史 戦前篇』と『昭和精神史 戦後篇』となるはずである。

戦前篇の昭和精神史を、単に『昭和精神史』と名づけたのは、戦前の昭和時代

だけが、精神史に値する精神が日本人にあり、戦後の昭和には、そのような精神

がなかったのだという桶谷氏の苛烈な批評がこめられていることを示している

のである。」

 

「『昭和精神史 戦後篇』の「文庫版のためのあとがき」の中で、この原本が

刊行された後、いろいろな感想、意見を聞いたが、それを整理し、論理化し、

私見を述べるのがほとんど不可能だと思ったという。その理由について、

次のように書いてある。

 

 その理由をあれこれ考へて、結局、今日の日本には歴史の精神といふものが

完全に欠落してゐるからだと思ふに至った。「歴史の精神」という言葉自体が、

耳慣れないものになってゐる。しかし、この言葉は、すくなくとも江戸十八世紀

から昭和敗戦にいたるまでは、公民権をもつてゐたのである。歴史としての日本を、

どんな世界像として抱いてゐるか。その際、その世界像形成において、輸入思想は

原理たりえない。日本民族の自前の歴史観でなければならない。

しかし、戦後において、日本民族の歴史はまったく地を払った。その代わりに

ソ聯経由のマルクス主義の本能がロシアの近代化のために身につけた精神的武装

であり、アメリカン・デモクラシイはアメリカ建国の歴史の精神にほかならない。

日本民族の精神は、おしなべて皇国史観のレッテルのもとに否定された。皇国史観

を打倒したものは聯合軍占領政策であり、日本人が自力の思想によっておこなった

のではない。

 

 この「日本民族の歴史はまったく地を払った。」という概嘆と、さらに

日本民族の歴史の精神」を「皇国史観のレッテルのもとに否定した」ことすら

「日本人が自力の思想によっておこなったのではない」という絶望は、その深さ

において、ここでやはりブルックナーの音楽が思い浮かんで来るのである。

―中略―

今日、令和の初年に、それも新型コロナウイルス禍という苦難の中で、この

「昭和の精神」への挽歌ともいうべき本書を読むことは、この概嘆と絶望を聴く

ことであり、「敗戦後の日本の精神から日本人は如何にしたら出エジプト

ができるのかを考えることに他ならない。」

<解説「昭和の精神」への挽歌>より

 

<『昭和精神史 戦後篇』目次より>

 

第 一 章 占領下二年目

第 二 章 市ケ谷台の晩春初夏

第 三 章 憲法とかなづかひ

第 四 章 戦後文学と敗戦文学(上)

第 五 章 戦後文学と敗戦文学(下)

第 六 章 東条英機広田弘毅(上)

第 七 章 東条英機広田弘毅(下)

第 八 章 占領後半期の精神状況

第 九 章 コミンフォルム日本共産党朝鮮戦争

第 十 章 占領終る

第十一章 「近代の超克」論

第十二章 戦後と三島由紀夫

第十一章 六〇年反安保闘争

第十二章 高度経済成長下の文学

第十三章 記憶の復活

第十四章 三島由紀夫の死

第十五章 昭和天皇

 

<『昭和精神史』目次より>

【目次】
第 一 章 昭和改元
第 二 章 革命支那と昭和日本
第 三 章 感覚的純粋人と思想的純粋人
第 四 章 革命と国家
第 五 章 橘孝三郎 中野藤作 中野重治
第 六 章 モダニズム
第 七 章 言霊とイロニイ
第 八 章 雪ふる朝 北一輝青年将校(一)
第 九 章 あを雲の涯 北一輝青年将校(二)
第 十 章 「支那事変」と文学
第十一章 戦争の文化体験
第十二章 『ぼく東綺譚』と『雪国』
第十三章 新体制と皇紀二千六百年 日本文化の世界構想
第十四章 日米開戦と近代の超克
第十五章 南溟の果て
第十六章 大東亜共栄圏
第十七章 汪兆銘和平運動の悲劇
第十八章 最後の出撃
第十九章 降伏と被占領の間
第二十章 春城草木深し