当店でも大人気!
『未知よりの薔薇』著者竹本忠雄氏の最新刊が発売になります。
全八巻の人生の集大成とも言える大著を書き上げた後に、竹本氏の心は、
次なる時間サイクルへではなく、その振り出しとなる「二十歳代」へ。
「古い三冊の「詩作ノート」の埃を払うと、そこに強烈な孤独と意志に
つらぬかれた若き日の詩人の自我像が浮かびでてきた。詩を書くことで
彼は幻視することを学んでいたのだ。
「いまや若き詩人の影はひそやかに私の心に浸透し、未知なる光の中で
揺らめいている」と述懐するスペイン詩・文学・ミスティシズム専攻の、
安倍三﨑さんの陰影濃きエッセイ「失われし詩人を求めて」を巻末に附し
、六十年の歳月をこえて立ち昇る千曲川の瀬音との共振を聞く。」
すでに『未知よりの薔薇』をお読みの方はもちろん、これからという方も、
竹本忠雄氏の「原点」であり、赤裸々な心情を書き綴った貴重な詩作ノートも、
是非お見逃しなく!
4月23日(土)先行発売!
※一般書店の発売は、4月28日頃。
◆『千曲川のほとりにて ー 二十歳代 詩作ノート』
ご注文はこちらから↓
出版へと至る経緯は、以下の竹本氏の自序をお読みください↓
ー『未知よりの薔薇』の先で待つものは、
時間を一回転して、我が青春譜であった。―
「令和三年秋に筆者は畢生書『未知よりの薔薇』を出版し、そのあと、ひそかに、
ある疑問に囚われていた。フィナーレは、あれで良かったのだろうか―と。
―中略―
プルーストの『失われし時を求めて』は、「見いだされし時」をもって完結している。
『未知よりの薔薇』にも何か、円環を閉じるリングといった
ものが必要ではなかろうか。フィナーレはあれでよい、作品は完結しているとの
評価もあったけれども・・・・
『未知よりの薔薇』は、一夜の霊夢ー「ロジエー」―に導かれて、深奥世界へと
謎ときに分け入るストーリーである。その途上で次々と起こる異常な出来事を
書き進めながら、ある思いが強まるのを感じていた。それは、未来は過去にある、
終わりは初めにあるとの奇妙な感覚だった。
―中略―
かりにこの長編にミッシング・リングがあったとして、それは時間の先のほう
ではなく、元のほうに求むべきではなかろうか。
こう思って、書棚を引っかきまわすと、ぼろぼろになった3冊のノートが出てきた。
一九五二年から一九六二年まで書き継いだもので、私の二一歳から二十九歳まで、
二十歳代のほぼ全期にわたっている。そのあと、フランス留学へと旅立ち、明瞭に
人生を画した。その二十歳代のほぼ十年間
というもの、私はひたすら、詩人たらんとして生きていた。
三冊のノートには、その間に書いた詩と詩論めいたエッセイが収められている。
ノート全体は若書きゆえに顧みずにきたが、久々に手に取って読みなおし、はっと
思った。
もしかして、ここにミッシング・リングが隠れているかもしれない、と。
『未知よりの薔薇』が世に出たことから、それとのつながりを暗示するこれらの
古ノートの埃を払う時が来たらしい。三冊を一本に纏め、
『千曲川のほとりにて―二十歳代 詩作ノート』と題して読者に呈するゆえんである。」
自序より
<目次より>
自序
ノート1 千曲川のほとりにて(一九六一年/29歳)
ノート2 詩作十年(一九五二ー六二年/20-29歳)
春堤/巫女/不在の渚に/夜が日々のなかを/昼をむなしく/
花びら/裏景色/予感/気配/波の弦ーポール・クレーに寄す/
飛箭ー愛のはじめ/
ノート3 詩作のための断章(一九五九ー六一年/27-29歳)
比喩/《Trahir》の一語をめぐって/川端康成の『雪国』/
ノートの最初の部分を読みかえして/詩と生/エッセイの形式について/
夜の公園から/ある夜/ある対話/私の美術鑑賞ー宋元画を観る/
波動(詩)/石庭をめぐって/もし明日死ぬるとしたら