数年前に、大人気!
今は幻となってしまった『超一流の成功哲学』、
の著者 和田友良氏の四部作の待望の最終巻で、
600頁以上の大著『終極からの摂理』大覚醒編
の発売が、ついに決定しました。
『超一流の成功哲学』シリーズをすでにお読みの方は、もちろん、
まだお読みでない方も、
心ある方には、是非この本1冊でもお読みいただきたい
必読の本物名著です。
西洋の哲学や宗教、文学、そして東洋の哲学や宗教、そして、
格闘技にも精通されている、真の文武両道を体現されている、
和田友良氏の思想、哲学の全てが込められた、
これからの時代の羅針盤となる1冊なので、
2024年へ向けた年末年始の読書の1冊に是非!
内容については、あれこれ書かせていただくより、この本の
〝本質〟を表わしている「あとがき」の一部をご覧いただき、
何かを感じた方は、是非お読みください。
「本書は『超一流の成功哲学』『新超一流の成功哲学』
『超一流の裏成功哲学 悪魔との対論』に続く、
『超一流の成功哲学』四部作最終巻、
『超一流の成功哲学黙示録』として発刊予定であった。
しかし、頁数が予想以上に増えたこともあり、
『終極からの摂理 大覚醒編』として発刊する運びとなった。
後半にあたる『終極からの摂理 神と犬編』は後日刊行の予定である。
「血肉のからだで蒔かれ、霊に属するからだに蘇らされるのです。
血肉のからだがあるのですから、霊のからだもあるのです」。
これは聖書「コリント人への手紙I」に記された一節である。
本書は端的に語れば、これまでの三部作とは大きく風景が異なる。
聖書で示すところの「血肉のからだ」としての成功哲学から、
「霊のからだ」に向かう精神を焦点とした自己啓発書
と位置付けしている。
同時に、禅における「自性は仏性であり、仏性は空性である」を鑑み、
「終極からの摂理」として私流に取り纏めたものだ。
さらには、思想の暴力性。これを魂の照射とした人間の不条理を
包み隠さず記した苦渋の痕跡でもある。
また、現実と歴史における夥しい戦記の衝撃と炸裂から、
人間本来のあり方を引き出したものだ。
遍く、魂への供物としての追悼である。
想えば、人間における最重要な精神は、様々なジャンルの偉人によって、
既に書き尽くされている。多岐にわたり表現され、限界点に達している。
新たに加え得る新説や斬新な論理は、もはや実質的に皆無であるように
思える。故に、数多の引用を踏まえ、角度、切り口、
文脈、次元を変えて斜に構えた私なりの検証が、
本書の拠り所となっている。
ゲーテは次のような見解を示している。
「私のメフィストフェレスも、シェイクスピアの歌をうたうわけだが、
どうしてそれがいけないのか?
シェイクスピアの歌がちょうどぴったり当てはまり、言おうとすることを
ずばり言ってのけているのに、どうして私が苦労して自分のものをつくり
出さねばならないのだろうか?
だから、私の『ファウスト』の発端が、『ヨブ記』のそれと多少似ている
としても、これもまた、当然まることだ。
私は、そのために非難されるには当たらないし、むしろ褒められてしかるべきだよ」
すべての事物には基準となるもの、
絶対的不変としての原理原則が存在する。
ここでの重要な問題は、それらに敬意をもって自らの状況に照らし合わせ、
粛々と応用することである。
これを真撃に、激甚に考察し、
新たな「自己信頼」「独立自尊」「独立不羈」
に目覚めねばならない。重要なことは、私の知る限りにおいて
ついには大覚醒したことだ。
オーウェル的二重思考とは次巻で詳しく詳述するが、
「同時に矛盾する二つの信念を魂に刻み込み、しかも、
その両方が絶対的に正しいと思い込み、信じ切る能力のこと」である。
これはある種の詭弁、禁じ手の思考だ。しかし、覇道の現実とは
往々にしてこのような矛盾、戦慄、驚愕に裏打ちされており、
次巻の「三性の理」の章において、激甚、かつ真摯に解明してゆく
所存である。
北京ダックは肉ごと調理され皮だけが削ぎ取られ、相性のいい食材や
調味料と共に食される。肉そのものは料理の対象外である。
まして内臓や骨のことは誰も考えもしない。
世界はこの程度の実態で動いている。だが、北京ダックの内臓や骨を
拾いあげた者のみが、闇を突き抜ける発想を得る。
フォアグラはガチョウやカモにトウモロコシを大量に食べさせて肥満させ、
肥大した肝臓料理のことだ。肝臓だけが抜き取られたカモやガチョウの
本体は、もはや実体のない抜け殻でしかない。
だが、フォアグラの産地では捨てられる運命にあった肉塊をコンフィにして、
肉屋で売られることもある。
本書は激情に生きる(生きた)人々の持つ死生観を
最大の衿持として認証したものだ。
同時に霊性の中に真理としての福音を求め、腐蝕に向かう魂の汚染を
防ぐことが意図するところではある。
新型コロナウイルスの世界的蔓延による今こそ、
人間の真価が問われている。実体のない恐怖に惑わされず、動揺せず、
日々、平常心を持って未来を見定め、成すべきことを成さねばならない。
これが非常時における人間としての、正当性を齎すボーダーラインである。
非常事態こそ、自らの境域を伸ばす新たな研磨の礎とならねばならない。
目覚めのない感情や拙い実利に囚われるなら、その誤謬推論がすべてを粉砕する。
精神の病んだ思い込みと共にすべては漆黒の闇に消え去るだろう。
人間は、目標に応じた適切な判断による決意と明確な行動の推進を指標として、
未来を充足させねばならない。ゲーテ曰く、「恐ろしいことのみが真である」
であっても、ウイルスの恐怖を極度に膨張させては、人間の根源的自由は
あり得ない。
ニーチェが示したように、そもそも
「人間そのものが、地球における最大の病原菌」であることを
まず考察せねばならない。
ソロモン王は、「自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。
彼よりは愚か者の方がまだ希望が持てる」としている。
驕りと自惚れと自意識過剰は破壊に先立つものだ。
何れにせよ、如何なる災厄の渦中であっても、
人間としての衿持と尊厳から離脱してはならないのである。
齢七十に近づいた頃、私の脳裏には夭折した友人達の記憶が次々と蘇った。
その記憶とは、彼らが宿した命がけの勇気と気迫と覚悟のことだ。
彼等は時速六十キロの平均速度ではなく時速二百キロの猛スピードで
夢を追いかけ、最短で、最大の成果を上げた。
血と肉と骨を、さらには、魂を枯らすことなく見事に生き切り、
死に切ったのである。その中でも、三島由紀夫の「自裁死」に衝撃を受けて
自ら命を閉じた友の戦慄と驚愕の摂理は、私の人生の大きな岐路となった。
このことを、再考察せねばならない。私はそう思念した。
遍く、本書の始まりと終わりは三島由紀夫の「終わりなき哀愁」の様相を解剖、
分析した、私なりの帰結としての吐露である。
抗うことを諦めてはならない。
進むべき道を断念してはならない。
強靭な翼を持つ偉大な龍は皆、約束の地に辿り着き、最大級の称賛と喝釆を
浴びた。だが、翼を抉り取られた血塗れの龍を見よ!
地の果てまでも続こうとする研ぎ澄まされた巨大な剃刀の上を、
山頂に辿り着かぬシーシュポスとして命ある限り這い続ける。
肉と腸と骨は真っ二つに切断されても魂は残る。
これぞ禅機縦横たる英雄の本懐だ。人は皆、魂としての自分自身の真理に
到達せねばならない。
翼なき龍は永遠に報われずとも、報われない幸福を魂の内に享受しているのだ。
懊悩呻吟の神髄を受け取り、徐に受肉化せねばならない。
本書が、如何なる苦の状況においても毅然として
対応できる決意と意気込みの参考文献となれば、
この上もなく幸甚の至りである。」
付 記「超一流の成功哲学黙示録」より
12月26日先行入荷!
『超一流の成功哲学』四部作 最終巻
◆『終極からの摂理 大覚醒編』
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